大河ドラマ「花燃ゆ」登場松下村塾を託された男 楫取素彦(かとりもとひこ)と明治維新

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幕末の時代、松島家の次男として現在の萩市に生まれ、幕末期は小田村伊之助として活躍。後に群馬県知事、貴族院議員・宮中顧問官を歴任した楫取素彦。彼は、盟友吉田松陰の志を受け継ぎ、明治維新の推進と防府市の発展に尽くした人物でした。知られざる維新の逸材・楫取素彦が歩んだ軌跡を辿ります。

三田尻の地が終焉の地であるほか、防府天満宮、毛利家本邸等での関わりから、防府市と非常に縁の深い人物。江戸から明治へと激動の時代を経て発展を遂げてきた現在の防府市にとって、忘れることのできない大きな存在です。

楫取素彦と「花燃ゆ」

杉家四女のヒロイン美和子と、その夫であり松陰の盟友の物語。

楫取美和子(防府天満宮蔵書より)

2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公は、幕末の思想家吉田松陰の妹・美和子(文)。美和子を中心に、幕末の時代を共に乗り越えていった彼女の家族・杉家の強い絆と、松陰の志を継いでいった若者達の青春群像がダイナミックに描かれています。
美和子が若い頃によく訪れたのが、明治維新を担う数多くの人材を輩出した松下村塾。兄松陰が主宰するこの塾は、杉家のすぐそばにあり、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、品川弥二郎ら多くの若者達が松陰のもとで、日夜議論を戦わせました。松下村塾は、杉家の人達や、松陰の同志、盟友達によって支えられ、明治維新胎動における重要な役割を果たしていきます。
杉家の四女である美和子は、松下村塾に集った塾生達に可愛がられ、塾生の俊英・久坂玄瑞に嫁ぎます。しかし、久坂は京都で起こった禁門の変により、25歳の若さで死去。未亡人となった美和子でしたが、その後人生を共にしていくのが楫取素彦です。
萩藩医・松島家の次男として生まれた楫取は、幼い頃より儒学を学び、長州藩の重要な役職に就いていました。その後、松陰と親しい間柄となり、お互いが認め合う盟友となりました。

 

「貞宮多喜子内親王殿下御座所」(楫取能彦氏提供)後列右から二番目が楫取、その左が美和子

毛利敬親(たかちか)公の側近中の側近として活躍し、明治維新後は、初代群馬県知事として、群馬の産業・教育の近代化に寄与。明治26年には、三田尻(防府市)に居を移し、亡くなるまでの約20年間、防府の発展に尽力し、数多くの業績を残しました。
楫取は、毛利家三代当主(敬親公、元徳(もとのり)公、元昭(もとあきら)公)に最も長く仕えた忠臣で、また、松陰とは熱い友情と尊敬の絆で結ばれていました。美和子は、勲功から男爵となった楫取を支え、華族の妻として、江戸・明治・大正と激動の時代を生き抜きます。

楫取素彦と吉田松陰

松下村塾の後継者に指名。松陰は、志を楫取へ託す。

絹本着色吉田松陰像(自賛)山口県文書館

吉田松陰と楫取の交友は、松陰が江戸に遊学していた頃始まりました。楫取と松陰の妹寿子が結婚すると、二人の関わりはさらに深まり、楫取は松下村塾にも深く関わることになります。共に教育者として歩んでいた二人は教育について熱い議論を交わし、信頼関係を高めていきました。
安政6年(1859)、松陰は安政の大獄で処刑されますが、松下村塾の後継者として楫取を指名。楫取は松陰に代わり、身をもって松陰の志を実践していきます。

松下村塾

楫取素彦と松陰の家族

松陰と美和子を育んだ大家族の杉家。幕末の激動の荒波にさらされながら、運命は、楫取と美和子を引き合わせていく。

杉家関係図

萩藩士杉百合之助の次男として生まれた吉田松陰は、6歳で山鹿流兵学師範の吉田家を継ぎます。明治維新で活躍する志士達を数多く育てましたが、その松陰を支えたのが実家杉家の家族。杉家は、父母、三男四女、叔父叔母、祖母の大家族でした。
楫取は嘉永6年(1853)、松陰の妹で杉家次女の寿と結婚。杉家や松陰と深い関わりを持っていきます。しかし、寿は明治14年(1881)に死去。その後、四女の美和子と再婚します。この結婚は、既に前夫・久坂玄瑞を亡くしていた美和子にとっても再婚でした。激動の時代に翻弄されながらも、結ばれた二人は、新しい時代へ、松陰の志を継いでいきます。

楫取素彦と“志士闊歩の地・防府”〈史跡紹介〉

楫取夫妻が過ごしたまち。ゆかりの名所が静かにたたずむ。

大楽寺楫取夫妻の墓所

吉田松陰や高杉晋作、久坂玄瑞、坂本龍馬をはじめ、幕末の志士達が闊歩した街・防府市。萩市や下関市と共に、防府市は幕末激動の長州を支えた地として、歴史に大きな足跡を残しています。
三田尻宰判管事などを歴任した楫取は、防府の民心安定と産業振興に心を砕き、妻美和子と共にこの街に暮らしました。現在も、楫取や維新の志士達ゆかりの史跡が数多く残っています。

大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台、防府史跡マップ